第5章 囲碁を更に楽しむ
楽しいから囲碁を打たれているのに、負けて逆にストレスになって眠れない。
そんなことが程度の差はあれ、誰しもあるかもしれませんね。 私も経験がありますからよく分かります(笑)
囲碁の楽しさは勝ち負けではなく内容とはいいつつも、やはり勝って終わりたいものです。そこで、楽しみと勝つことの両立を。もしくは、負けても納得感のいく打ち方を少しお話ししたいと思います。
日によって思い通りに打てたり、打っていて楽しくない時があるのではないでしょうか。これは、自分で碁をコントロールできているかどうかがポイントです。
これは、次のフレーズを意識してみてください。
「楽しい碁を打とう」
これは、自分で着手を決める時に、楽しいかどうか。おもしろいかどうかで決めていくことです。
こんな手を打ったら恥ずかしいのではないか。ここは常識的にはこう打つところではないか。
そう考えてしまうと「自分の手」ではなく「借り物の手」で打つことになります。するとどうなるか。
負けた時に後悔だけが残ります。つまり負けたのは人の手を借りて打ったからですね。 自分で納得して打っていないわけです。
それを
「今日はこう打ってみたい」
「こう打つのが私の好きな碁だ」
このような基準で着手してみると、打ちながらも充実感が出てきます。
そして、これは経験してみると分かるのですが、自分で納得して打った手なので、次から次へと関連した手が打てるようになります。
囲碁はこの一貫性がとても大切で、棋力の全てと言っても良いでしょう。
まず自分自身で打ちたい手があるので、その着手に気持ちが反映されます。するとその気持ちを継続して打ちたくなるので、次の手も一貫した手が打てるというわけです。
私の経験で言いますと、自分で納得がいかない進行は避けるようにしています。その進行は、続きが自分では打てないからです。続きが打てないと、常にどう打てば良いのか分からない局面が続くので、非常にストレスになるからです。
結果は気にせず自分の描きたいものを表現する。これが囲碁の大きな楽しさの一つではないでしょうか。その結果として勝ち負けがあります。また、自分の描きたいことがしっかり描けた碁はほとんどが勝って終わっていることでしょう。それは相手もあることですので、相手にも描きたいように打たせてあげる。自分だけ良い状態というのは自然現象としてはありえないからです。自分も満足。相手も満足。これが碁の理想と言えるでしょう。そうするところの行きつく先は、勉強量の差や、人生観、人間性の違いで勝ち負けが決することになります。そのため、自分で納得できる碁が打てて負けた場合は、勉強量が相手の方が多かったので仕方がないなと思えるようになり、この人に勝つためにはもう少しだけ勉強してみよう。こうして次に向けて気持ちを切り替えることができるわけです。
「勝って充実。負けて納得」
この境地が囲碁を更に楽しむ状態かもしれません。
当たり前の話ですが、勉強が足りない場合は強くはなりません。また、囲碁に限らないですが、そうして勉強している過程が楽しいものでもあります。そして結果が出る。
逆に言うと何も努力せずに勝っても、サイコロを振っているようなもので充実感はほとんどないかもしれませんね。
自分の楽しい碁を打つように着手していく。
自分が楽しいと感じる展開を見つけてみる。
こうしていくことで、囲碁を打つのが更に楽しくなっていくことでしょう。
楽しい碁を打つことでまた上達していくという好循環が生まれます。
是非、自分の打ちたい手、打ちたい碁を盤上に自由に表現してみてください。
こどもの時、自由に遊んでいたように。