半田道玄 プロフィール
- 1915年(大正4) 10月25日、広島県向島に生まれる。四歳のとき、家族と共に因島に移る。
1922年(大正11) 広島県三庄村村立三庄尋常小学校にはいる。この頃碁をおぼえる。
1924年(大正13) 鈴木為次郎六段(のち名誉九段)に入門、東京へ出るが一月たらずで帰る。九歳。
1926年(大正15) 十一歳。このころ再度上京するが、一、二年で帰されたらしい。
1930年(昭和5) 大阪市港区八幡町に移る。久保松勝喜代六段(のち追贈八段)一門の研究会に参加するなど碁界に復帰。十五歳。
1934年(昭和9) 10月入段。十九歳。以後36年8月ニ段、7年10月三段、38年8月四段、42年8月五段と順当に昇段する。
1947年(昭和22) 肺結核で岡山早島の療養所にはいる。片肺を切除。三十二歳。
1951年(昭和26) 独立した関西棋院に参加。其の前、1949年に六段を贈られる。早巳を道玄と改名。
1954年(昭和29) 関西棋院春季大手合六局全勝で優勝。10月、七段。三十九歳。
1956年(昭和31) 再三期関西棋院早碁名人の挑戦者になり、窪内秀知八段との三番勝負を一対一で勝つ。関西棋院選手権戦優勝。10月、八段。四十一歳。
1957年(昭和32) 第五期王座戦決勝三番勝負に進出、島村利博八段に0対2で敗れる。第四期関西棋院早碁名人戦は挑戦者鯛中新七段に1対2で敗れる。関西棋院第一位決定戦で準優勝。四十二歳。
1958年(昭和33) 第六期王座戦決勝三番勝負に進出、藤沢朋斎九段に0対2で敗れる。四十三歳。関西棋院第一位決定戦優勝。
1959年(昭和34) 4月、九段。四十四歳。
1960年(昭和35) 第八期王座戦決勝三番勝負に進出、宮下秀洋九段を2対0で破り優勝。関西棋院第一位決定戦優勝。関西棋院選手権戦準優勝。四十五歳。
1961年(昭和36) 関西棋院第一位決定戦優勝。名人戦、十段戦が創設され、リーグ戦、本戦に出場。
1962年(昭和37) 第十七期本因坊戦リーグ戦で優勝、坂田栄寿本因坊名人に勝ち、橋本宇太郎十段との再度の五番勝負に3対1で勝ち、十段位獲得。関西棋院十強戦第二位。四十八歳。
1963年(昭和38) 第十七期本因坊戦リーグ戦で優勝、坂田栄寿本因坊との七番勝負は1対4で敗れる。第一期十段戦、敗者復活システムの本戦で四連勝、五勝一敗の橋本宇太郎九段と決定五番勝負を争うが、1対3で敗れる。第一期名人戦リーグ戦は第三位。四十七歳。
1964年(昭和39) 第ニ期十段戦挑戦者決定戦で坂田栄寿本因坊名人に勝ち、橋本宇太郎十段との再度の五番勝負に3対1で勝ち、十段獲得。関西棋院十強戦第二位。四十八歳。
1965年(昭和40) 第十三期王座戦決勝三番勝負で大窪一玄八段に2対0で勝ち、二度目の王座獲得。第三期プロ十傑戦第八位。関西棋院十強戦優勝。五十歳。
1966年(昭和41) 第五期十段戦挑戦者決定戦で坂田栄寿本因坊に敗れる。関西棋院選手権戦準優勝。
1967年(昭和42) 第五期プロ十傑戦第十位。翌68年、関西棋院九段リーグ戦第二位。69年、関西棋院第一位決定戦準優勝。
1971年(昭和46) 第九期プロ十傑戦第六位。翌72年、第十期十段戦、敗者組決勝で林海峯名人に敗れる。
1974年(昭和49) 4月13日、永眠。享年五十九歳。